2010/6/27 日曜日

お大師様のお言葉

Filed under: 未分類 — kimura @ 16:38:08

最近、環境(かんきょう)のことが問題(もんだい)(し)され、エコロジーと(さか)んに言われるようになりました。しかし環境(かんきょう)問題(もんだい)は今に始まったことではなく、ずっと以前から問題になっていることであります。70年代にある科学者(かがくしゃ)たちがまとめたものによると。「今のまま人口(じんこう)増加(ぞうか)や、環境(かんきょう)破壊(はかい)が続けば、100年以内には資源(しげん)枯渇(こかつ)や環境の悪化(あっか)により人類(じんるい)成長(せいちょう)限界(げんかい)(たっ)し、破局(はきょく)回避(かいひ)するためには地球が無限(むげん)であることを前提(ぜんてい)とした経済(けいざい)のあり方を見直し、世界的な均衡(きんこう)目指(めざ)必要(ひつよう)がある。」と(しる)されていました。しかし、それから20年後になり、その科学者たちは「資源(しげん)採取(さいしゅ)環境(かんきょう)汚染(おせん)の行き(す)ぎによって21世紀前半に破局(はきょく)(おとず)れる。」と(さら)に環境が悪化(あっか)したことを指摘(してき)しています。

 それでも、大量なる生産(せいさん)消費(しょうひ)廃棄(はいき)という経済(けいざい)社会(しゃかい)から生み出された廃棄(はいき)(ぶつ)により水質(すいしつ)大気(たいき)そして土壌(どじょう)汚染(おせん)と地球の環境は益々(ますます)悪い方へと進みつつあります。

 いま、環境問題が注目(ちゅうもく)される要因(よういん)になったのは地球の温暖化(おんだんか)集中(しゅうちゅう)豪雨(ごうう)等の異常(いじょう)気象(きしょう)(ま)(あ)たりにしたこと。また、湯水(ゆみず)のように使ってきたガソリン等の燃料(ねんりょう)が、原油(げんゆ)(こうとう)により(かぎ)りある資源(しげん)ということが骨身(ほねみ)にしみて実感(じっかん)することになったことが一番の要因ではないかと思うのです。

 「ここまでしなければわからぬか」といわれているような気がします。

お大師さまのお言葉に

(ぐ)(お)いては(どく)となり、(ち)(お)いては(くすり)となる、(ゆえ)(よ)(まよ)いまた(よ)(さと)るという」((しょう)(じ)実相(じっそう)(ぎ)

 あるものごとに対して(あやま)った(あつか)い方をすると(どく)になって自分だけでなく他人をも(がい)する(はたら)きとなり、正しい扱い方をすれば(くすり)となり、自分だけでなく他をも救う手だてとなる。だからこそよく(まよ)い、よく(さと)るのである。

 環境問題に関して、我々は誤ったとらえ方、扱い方をしてきました。しかし、きっかけはどうであれ、いま気づくことができたのではないでしょうか。この目覚(めざ)めた目を(くも)らせないようにしなければなりません。

 燃料(ねんりょう)のことを(れい)(あ)げましたが、もしまた燃料が安くなったらやはり無駄遣(むだづか)いをするようになってしまうのでしょうか・・・  

機関誌『三礼衆』より    

2010/6/26 土曜日

お大師様のお言葉

Filed under: 未分類 — kimura @ 12:27:38

ある教戒師の方が、刑務所でご説教をされた後、ある受刑者に声を掛けられ、こんなお話を聞いたそうです。「私は、子供の頃から悪戯っ子でした。友達を泣かしてばかりいて、そのたびに母は、私を連れて相手の家へ行き、頭を床にこすり付けて謝っていました。家に帰ると大きな声で怒られました。でも、私は言うことを聞きませんでした。中学になると、たばこを吸い、バイクを盗んで警察のお世話になりました。母は私を、泣きながら叩きました。でも、私は反省しませんでした。高校で、暴走族に入りました。母は、毎日、近所の人に謝っていました。でも、私は反省しませんでした。学校を出ても定職に付かず、遂には、商店に盗みに入り、受刑者となりました。」 

刑務所に入った最初の日、彼はふと母の顔を思い出したそうです。 そして、「母の言葉に全く耳を貸さず、結局、犯罪者になってしまった息子の顔なんて、もう二度と見たくないだろうな。」と考えました。すると、その翌日、お母さんが面会に来たのです。 

彼は、思わず、「何故、来たのですか?」と聞いてしまいました。すると、「あなたは私の子だ。何が起ころうと、それは変わらない。私は一生あなたを叱り続けるよ。」と母が言い、そして、今までと全く変わらず、ガラス越しに、大きな声で彼を叱ったそうです。 彼の目には、期(き)せずして大粒の涙が流れ、声を出して泣いたそうです。 

「それ以来、二度と、この母を怒らせることはしまい。と心に誓い、日々を過ごしている。」と語られたそうです。 母が子を想う心は、見返りを求めない真実の優しさです。それを全ての命に向けて下さっているのが仏様の慈悲(じひ)の心なのです。そんな心より生まれた言葉は、慈悲のこもった、真言となります。 

『慈(じ)よく楽(らく)を与え、悲(ひ)よく苦を抜く、抜苦与楽(ばっくよらく)の基(もとい)、人に正路(しょうじ)を示(しめ)すこれなり』(性霊集しょうりょうしゅう どんなに深い迷いの淵(ふち)に落ちた人でも、慈悲に触れ、真言を聞けば、いつか必ず仏の道を歩き始めるのです。

機関誌『三礼衆』より   

 

 

2010/6/9 水曜日

お線香のできるまで

Filed under: 未分類 — kimura @ 14:04:08

椨などの原料を微細に粉砕し、十分に撹拌し、銘柄ごとに調合された香木や、各種漢方原料を加えて、温湯で練り上げ、練り玉と呼ばれる直径30cm、長さ約40cmの円筒形にします。練り玉を押出機に入れて、ジョウロ状の穴から線上に70本程押し出し、盆板といわれる板に受けます。盆板のお線香を竹ヘラを使って干し板と呼ばれる板に隙間なく並べ、線香の寸法に合せて切り揃えます。乾燥場で10日ほど日数をかけてゆっくりと自然乾燥されたお線香は十分チェックされ、結束し箱詰めされて出荷されます。

機関誌『三礼衆』より

2010/6/7 月曜日

お線香

Filed under: 未分類 — kimura @ 11:56:05

今回は皆さんが普段から良くお使いのお線香についてお話させていただきたいと思います。

私たちはお葬式や法事、お墓参り、日々のご先祖様への供養としてお線香を使用することがよくあります。お線香はさまざまな原料の調香によって作られますが、その多くは漢方薬として現在でもよく使われているということはあまり知られていないのではないでしょうか。お線香は使用する原材料によって2種類に分かれます。1つは杉線香と呼ばれ、杉の葉を原料として作られており、杉特有の匂いがするお線香で、墓地等で見受けられる種類です。もうひとつは匂い線香(内仏用)と呼ばれるもので、椨(タブ)という木の皮を粉末にし、それを基礎原料として、そこに香料を加えて作られるものです。香料には植物性のもの〔伽羅(キャラ)、沈香(ジンコウ)、白檀(ビャクダン)、桂皮(ケイヒ)、丁字(チョウジ)、大回香(ダイウイキョウ)、龍脳(リュウノウ)等〕や、動物性の香料〔麝香(ジャコウ)、貝香(カイコウ)、龍涎香(リュウゼンコウ)等〕があり、中国、インド、東南アジアを中心に算出されますが、天然のものだけに入手困難な原料も少なくありません。現在家庭で使用されているお線香の大部分は匂い線香です。

機関誌 『三礼衆』より

 

 

2010/6/2 水曜日

「原因を思いやる心」を感じよう

Filed under: 未分類 — kimura @ 13:28:24

自分が今こうして生きている世界のことを考えると人間は、一人では、生きてゆくことは不可能(ふかのう)なことで、周囲(しゅうい)の人や物のおかげで生かされているのだ。目には見えないけれど縦横(じゅうおう)にはりめぐらされた、深い(えにし)の糸によって(たが)いに(むす)びあわされ、めぐりあいの世界、(く)り返しのきかない、たった一度きりのものであるのは(たし)かだ。 

先日、ご主人(しゅじん)先立(さきだ)たれ、四十九日(しじゅうくにち)法要(ほうよう)も終わり、あと少しで(ひゃっ)(か)(にち)(むか)えようとする(かた)が、お墓参(はかまい)りにこられた(おり)のことです。 

「最近ふと(なみだ)がこぼれるんですよ、部屋の内装(ないそう)をみると生前(せいぜん)の事が思い出されて、また悲しくなります」と。まさに四苦八苦(しくはっく)のなかの死と(あい)別離(べつり)(く)の苦しみです。それは大変(つら)く悲しい出来事(できごと)です。(さ)けて通れるならそうしたいがしかし、そうは許してくれません。 

月日(つきひ)がたつにつれ、じわりじわりとこの世に「存在(そんざい)」している事の重大さに気づかされます。 

また、その方は近所(づ)き合いがよい方ですので、よく人が集まり、井戸(いど)(ばた)(かい)(ぎ)が始まります。話は(つ)れ合いの話題(わだい)になり、その時に「(いや)なりにでも喧嘩(けんか)できますからよろしいじゃないですか」といってあげるのだそうです。(まさ)に、存在するが(ゆえ)の口げんかです。そして続けて私に、「(たの)みごとができない(つら)さを感じます」と心のうちを話してくださいました。 

私は、はっと気づかされました。当たり前のことが当たり前でないのだと言うことを。悲しいかな(な)くして(はじ)めて気がつき、無くなるまでは気にもしない私達。それ(ゆえ)に今が大切なのです。私が(い)人様(ひとさま)が居る。人様との(かか)わりの中に自分が居る。「おかげさまで」の気持ちで、大切な方に思いやりを。 

「やがて(し)すべきものの、今日(きょう)いのちあるはありがたし」(法句(ほっく)(きょう) 

(えん)でつなげてくれて(あ)(がた)し。 合掌

三重青年会機関誌 『三礼衆』より 

 

2010/6/1 火曜日

木村会長様へ

Filed under: 未分類 — kida @ 13:35:33

ホームページ表紙、子供会ポスター、載せられたんですね。 
めっちゃ、いい感じですね!
ご苦労様です!!

Filed under: 未分類 — kida @ 13:33:04

2010/5/25 火曜日

おめでとうございます

Filed under: 未分類 — andou @ 17:03:45

ブログ開設おめでとうございます!

やったね!

Filed under: 未分類 — sakai @ 16:50:26

ブログ新設 おめでとうございます。^^

三重青年会hp立ち上がりました!!

Filed under: 未分類 — kimura @ 16:41:35

祝!!

この度、三重青年会のhpを立ちあげました!

みなさんお気軽に立ち寄ってくださいね

 

2007/7/11 水曜日

生命の炎

Filed under: 聖語 — 三重青年会 @ 12:22:49

 朝

今日の朝も素晴らしい目覚めをされたことと思います。
しかし私たちはややもするとこの目覚めを当たり前のことと思いこんではいないでしょうか?この朝という文字ですが分解して並び替えると面白いことに十月十日という言葉になります。
これは皆さんもご存じの通り新しい生命が父から母の胎内に宿り、生まれ出でる迄の大切な時間のことであります。そしてその時間を経て生まれた赤ちゃんは体中でその喜びを表します。
赤ちゃんにとっては、初めて迎える朝だからです。

我々も同じ事ではないでしょうか?
今日迎えたこの朝は我々にとって、いやこの大宇宙森羅万象すべての理にとっても初めて迎える朝なのです。心より今日の目覚めを、今日ある生命を喜ばずにはいられません。
しかし昨今の新聞、ニュース等を見ておりますと。生命の尊さ有り難さを忘れたかのような事件事故ばかりが取りざたされております。身勝手な都合による殺人、いじめなどを起因とした自殺、飲酒などの無謀な運転による事故等々。
これらを見聞きしておりますと、いつからか我々は大切な忘れ物をしてきたような気になります。もう一度「限りある大切な生命」というものを見つめ直す時がきているのではないでしょうか。

お大師様のお言葉に「この生命の脆きこと泡沫の如し」とあります。
永遠に続くように思いこんでいるこの命は実は泡がはじける如くに脆い、だからこそ今あるこの命を一日一日大切に生きよ、とお諭し下さっているのです。
落語の中に蝋燭の炎を命に例えたものがあります。確かに炎というのは酸素を燃やし二酸化炭素を出しています、我々も酸素を吸い二酸化炭素を吐いています、即ち我々が生きているという事は、「生命の炎を燃やしている」と言うことなのです。蝋燭の炎もストーブの炎もは消える瞬間まで周りを照らし、暖めてくれます。しかしどちらも、炎が大きすぎても、小さすぎてもいけません。丁度程々の炎が最後まで明るさと温もりを与え続けてくれるのです。私たちの心も最後の最後まで、この炎のようにありたいものです。
この無常の風の中、今日の目覚めを当たり前と感じることなく、この生かされた命に喜びと感謝をもって明るく暖かく命の炎を燃やしてまいりましょう。    
 

鈴鹿市 福楽寺 加藤 光映
 

落語の中に蝋燭の炎を命に例えたものがあります。確かに炎というのは酸素を燃やし二酸化炭素を出しています、我々も酸素を吸い二酸化炭素を吐いています、即ち我々が生きているという事は、「生命の炎を燃やしている」と言うことなのです。蝋燭の炎もストーブの炎もは消える瞬間まで周りを照らし、暖めてくれます。しかしどちらも、炎が大きすぎても、小さすぎてもいけません。丁度程々の炎が最後まで明るさと温もりを与え続けてくれるのです。私たちの心も最後の最後まで、この炎のようにありたいものです。この無常の風の中、今日の目覚めを当たり前と感じることなく、この生かされた命に喜びと感謝をもって明るく暖かく命の炎を燃やしてまいりましょう。    

2007/7/10 火曜日

咲けよ!チビッコ!

Filed under: 青年会通信 — 三重青年会 @ 13:01:22

    

昨年は台風多く、日本への上陸回数は多い年であった。三重の地にも多大(ただい)な被害(ひがい)を受けました。それに比べると本年は台風の少ない年であるの中(なか)、上手(うま)く台風の来る日を当ててしまいました。そう高野山(こうやさん)真言宗(しんごんしゅう)三重(みえ)青(せい)年会(ねんかい)恒例(こうれい)の「夏休み子ども研修会(けんしゅうかい)」の予定日の7月26・27日、この東海(とうかい)・近畿(きんき)地方(ちほう)に上陸の恐(おそ)れありとの予報ではないか! な、なんと! 前日からテレビの前から動けず、天気予報が気になって仕方が無(な)い、自然の成(な)すことだけにどうする事も出来ないが、ただ少し東へそれる事を祈(いの)った(台風の進路の地域には申し訳ないが) 早朝決断(けつだん)の時「少しコースが東にそれて行ってくれている。よし行ける、出発だ」 三重の地より西に位置する高野山は大丈夫だろう? しかし、これからが大変である。「夏休み子ども研修会」に参加するチビッコ台風が三重県下各地から接近しつつある。北は桑名(くわな)・四日市(よっかいち)・鈴鹿(すずか)・南からは津(つ)・松阪(まつさか)からの各地から48人もの豆(まめ)台風(たいふう)が集まってくるのである。そして2台のバスで、いざ高野山を目指(めざ)し進んで行くのである。さあ、今年のチビッコ台風はどんな勢力でどの進路を取っていくのだろう?水行 26日正午(しょうご)過ぎに高野山到着。昼食のため宿坊(しゅくぼう)でもある本覚院(ほんがくいん)さまへ。早朝からバスに揺(ゆ)られ道中の疲れもなく、着くや否(いな)や、大きな部屋や広く長い廊下(ろうか)に大はしゃぎ!気落ちなくいきなりチビッコ台風大型化!毎年ながら子ども達のエネルギーには感心させられます。 そのエネルギーをそれぞれ興味(きょうみ)のある何かに導(みちび)いてあげることができたなら・・・。 さあ待ちに待った昼食だ。しかしその前に食事作法。美味(おい)しそうな食事の前にお腹(なか)の虫を抑(おさ)えながら経(きょう)を読む。また馴(な)れない正座(せいざ)に子ども達は少し戸惑(とまど)っている様子だ。 昼から大師(だいし)教会(きょうかい)で受戒(じゅかい)を受け、霊宝館(れいほうかん)では大きな仏像(ぶつぞう)や仏画(ぶつが)、憤怒(ふんぬ)の像に驚(おどろ)きの声をあげ、金剛(こんごう)峯寺(ぶじ)では、歴史に登場する豊臣(とよとみ)の名に関心をよせながら参拝(さんぱい)いたしました。夜は奥の院お大師様の御廟前(ごびょうまえ)にて、瞑想(めいそう)(阿(あ)字(じ)観(かん))をしました。あれほど暴(あば)れていたチビッコ台風が、いつの間に通り過ぎたのか!驚くほど澄(す)み切った時間が流れました。子ども達は何を感じ取ってくれたのだろうか?  2日目は、早朝より壇上(だんじょう)伽藍(がらん)の荘厳(しょうごん)な金堂(こんどう)にて朝の勤行(ごんぎょう)を修(しゅ)し、その後雑巾(ぞうきん)がけをさせて頂きました。何より大きな建物、それを支える太い柱や大きな扉(とびら)に驚き、大らかさを頂いた事でしょう。最後に、奥の院への参道(さんどう)を、霊気(れいき)漂(ただよ)う空気を吸いながら歩き、昨日とは違うお大師様の御廟(ごびょう)の前でお勤(つと)めを修(しゅ)しました。チビッコ台風の吸収(きゅうしゅう)能力(のうりょく)は早いもので2日目下山(げざん)する前ともなると、規律(きりつ)が身につき、般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱(とな)える声も大きな声で合わせられるように成っているではないか! なんと心地よい声か! ついに高野山に停滞(ていたい)していたチビッコ台風もついに我(わ)が家(や)へ進路(しんろ)を変える時期がやって参りました。無事何事も無く帰路(きろ)に着きました。南無(なむ)大師(だいし)遍照(へんじょう)金剛(こんごう)。 この度(たび)この研修会に参加してくれた子ども達は、心の目に何かを感じ取ってくれた事と確信(かくしん)しています。その心の目に、ほとけさまの種が芽生(めば)え、花咲(はなさ)かせて、自分もそしてお友達をも照(て)らしだしてくれる大きな花を咲かしてくれるよう願っております。 松阪市 龍泉寺 岡本 祐璋     

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